「え、お前さん、覚えてないんか?」
「何を?」
「明日、幸村の誕生日だぜぃ」
「はい?明日?…ご、御冗談を…」
「なぁにを言っとるんじゃ。我らが部長の誕生日を忘れたんか?」
「…」
「うわっ、それやばくね?あーあ。俺しーらねっと」
「…」

そんな会話があった昨日の部活の帰り道。何の話の流れかは忘れたが、その事実を知った途端、の背筋が凍った。
男子テニス部マネージャーをしているにとって、前日に、しかも部活の帰り道にそのことを知ったって何もできない。帰りは遅いから、もうお店は開いてない。というか行く時間がない。朝は、仮に店が開いていたとしても、朝錬というものがある。
なす術が思い浮かばず、どうしようと内心汗がだらだらと流れるマネージャーに、「幸村君の誕生日を忘れたお前が悪い、ていうか同じ部活仲間だろぃ」と丸井が言ったけど、実は、そう言った丸井の誕生日も正直覚えてない(ちなみに、最近になってやっと誕生月を覚え始めた。これでもなかなかの進歩だと思う)。仁王は私のその物覚えの悪さを知ってるから、どんまいと一言言って、

「明日が怖いのぅ、幸村の彼女さん?」

いつもの嫌な笑顔で告げた。他人事だった。
終わった、と昨日の会話でが悟ったのは仕方がない。

*************

そして、今日。昨日の夜、頭を抱えて悩んだ末に、正直に謝る、という結論に達した。正直に話せば幸村も許してくれるだろうと思うし、そもそも悪いのは自分自身だから、説教でもグラウンド何十周でもなんでも受ける覚悟だった。
だったけど。

「幸村くーんっ!」
「誕生日おめでとー!」

「ふむ。多少は予想していたが…まさかここまでとはな」
「…部長、すごいっすね」
「…うん。先が思いやられるなぁ」

幸村のファンが、想像以上にすごかった。
にマネージャーの仕事があったから、というのもあるけど、幸村と話せる機会は全然なし。朝錬の前後は、いつもはいるはずのないファンに幸村が囲まれているし、朝錬の最中はいわずもがな、朝錬が終わってから、授業の合間に幸村の教室に行ってみるも、やっぱり女の子に囲まれてる。そして、その時女の子たちの間から見えたのは、幸村あてのであろうプレゼントの山。バレンタインの時と同じくらいの量のそれに、彼女としての何かが惨敗した気がした。

そんな思いを持って帰った後の4時間目の授業。科目がの嫌いな数学ということもあって、授業をまともに受ける気は0。机に突っ伏し、ため息をはくに教師は注意をするが、に改善する様子が見られないから途中で諦められた。時計を見ると、あと10分で授業は終わる。次の休みも幸村の教室に行くかどうかを先生の数学解説をBGMに迷っていると、後ろからちょんちょん、と背中をつつかれる。確か後ろの席は…と思いながら振り向いてみると、

「おい、どうすんだよぃ」

丸井だった。授業に集中できなくなったのか、それともあからさまにしょげているを見かねてなのかは分からないが、に話しかけてくる。ちなみに机の上は綺麗になっていた。も最初から授業を聞く気は無いし、相談する相手もいないから(というか言いづらい)、授業の邪魔にならない程度の音量で話し始める。丸井は思ったよりもまじめに聞いてくれて、が話し終えた後、「さすが幸村君のファン…」と呟いていた。

「正直、幸村とこんなにも話せないとか予想外」
「幸村君のファンは格別だしなぁ。しかもプレゼントの山、か…」
「時間が経つにつれて、どんどん言いづらくなってくるんだけど…」

ため息をついた後の、絶対期待されてるよね、という呟きには無言だけが返ってきた。無言は肯定。も丸井もため息を吐く。
でも、そうこうしている内にチャイムが鳴り、授業は終わる。休憩時間になったから、生徒は席を立ち始め、ざわざわと教室が賑わい始める。ふと聞こえてきた会話の中に、幸村にプレゼントを渡しに行くという内容が聞こえてきて、はますますため息を吐きそうになった。丸井もどうしようかあぐねて視線を巡らす。

「んー…駄目もとでもう一回幸村のクラス行くかな…」
「まぁ、そうしたほうがいいんじゃねーの。一応行ってみ…あ」
「ん、どうした?」

途中で切れた丸井の言葉には疑問を浮かべるが、すぐその疑問は解消された。丸井が指さす方向を見てみると、

「王子様の登場ってな」

のクラスの授業が終わるのを待っている、幸村がいた。

*********************

屋上は今の時期寒いし、テニス部員はきっと誰も来ないからということで、女子に囲まれそうになる幸村と一緒に向かったのは部室。中央にあるテーブルに向かい合わせに座り、持ってきた弁当を食べ始める。最初のころは当たり障りのない話で場は保たれていたが、長くは続かず、沈黙が落ちる。いつもなら感じない気まずさがにはあるため、どこか落ち着かない。今こそ言うべきなんじゃないのかと思っても、言い出す勇気がない。ちらちらと気付かれない程度に、幸村の様子を窺っていると、

、俺に何か言うことあるでしょ?」

の思考を読んだかのようなタイミングで幸村が声をかけた。まさにその通りなので、ますます気まずさを感じ、それでもゆっくりと口を開く。

「えっと、今日誕生日だよね。おめでとう」
「うん、ありがとう。本当は一番最初に言ってほしかったけどね。そんな贅沢言ってられないかな」
「あはは…」
「で?」
「?」
「他にも何か言うこと、あるんでしょ?」
「え、なんで…?」
「ん?仁王が言ってた」
「(っ、あのバカ詐欺師め…!)」

今日のドリンク、仁王のだけいつもより10倍は薄めてやろうと地味な復讐を誓うに対し、幸村は笑顔で、がその“他にも何か言うこと”を話すを待っている。幸村がその内容を知っているのかどうかはわからないが、この状況では果てしなく言いづらい。やっぱり朝のうちに何としてでも幸村を捕まえて謝っておくべきだったと後悔しても、時すでに遅し。重たい口を開き、笑顔の幸村を前に、はゆっくりと話し始めた。

「なるほど。つまり、俺の誕生日を忘れてたと」
「…ごめん」
「それで、プレゼントは何にも用意してないと」
「…ごめんなさい」
「これでも楽しみにしてたんだけどなぁ、からのプレセント」
「…許してください」

話し終えた後の幸村の精神的攻撃に、の良心はズタズタ。その現れに、の頭はテーブルにつくんじゃないかと思うくらい下がっていた。でも幸村は納得してないようで、呆れた目線をに向けつつ、口は止まらない。

はマネージャーの仕事覚えるのに、人の倍かかる程物覚えが悪いって知ってたけどさぁ」
「…」
「まさか、同じ部活仲間、ましてや彼氏の誕生日を覚えてないとはね」
「…反省してます」

幸村からの一方的な会話がなくなると、長いため息が聞こえてきた。そのため息はに重くのしかかる。でも、どうしようもない。やっぱり悪いのは自分。何も言えずに黙っていると、しばらくして「あ、そうだ」と、あからさまにいいことを思いついたとでもいうような幸村の声が聞こえた。恐る恐る顔を上げると、幸村の何やら楽しそうな、きらきらした表情が目に入った。

「じゃあさ、俺のお願い聞いてくれる?」
「お、お願い?」
「うん、簡単だからさ。プレゼントとして、いいでしょ?」

嫌です、だなんて、には言えない。言える権利がなかった。でも、にこっという効果音が聞こえてきそうなその笑顔は、正直にとって不安の要素にしかならない。何をお願いされるんだろうと、の脳はすぐに仕事を始める。遠くに買い出し行かされるか、いや、それよりももっと嫌なことかもしれない。には考え付かないような気が重くなるようなこと。
そして、その考えは見事的中した。ただ少し、が考え付いたのとはベクトルが違ったが。

「俺のこと、名前で呼んでよ」
「…え、え?」
「もしかして、名前も覚えてないとかいうわけ?」
「え、あ、いや、名前は知ってる…というかわかってるけど…」
「ならいいじゃん。ね、簡単でしょ?」

続いた幸村の言葉に、は固まる。精市、そう呼べということだった。確かに、それは簡単。現に幸村のファンの幾人かはなんでもないように名前呼びしているし、柳を筆頭に、部活でも名前で幸村のことを呼んでいる人はいる。けれど、はなかなかそう呼ばない。そのことは、いままでも何人かの部員に尋ねられた。いつか丸井と仁王辺りにしつこく迫られたこともある。でも、理由が理由だからどうしても言いたくなくて、なんとかかわしてきた。けど、今回は無理そうに思えてきて、目線を泳がし始めるに、幸村は変わらない口調で続けた。

「俺は普通に名前で呼んでるのに、は全然だからさ」
「え、いや、その…」
「最初は気長に待つつもりだったけど、いい機会だし今日から名前で呼んでよ、ね?」
「…他のことじゃ駄目?」
「俺の誕生日忘れたの誰だっけ?」
「うっ…」

というかなんで俺を名前で呼びたくないの?と続いた言葉には何も返せなかった。かろうじて、柳あたりに聞けばわかるんじゃないかなぁ、ということを遠まわしに言うも、あっさりと「から直接聞きたい」と一刀両断。幸村を見てみるも、理由を教えて、かつ名前で幸村のことを呼ばない限り帰してもらえなさそうな雰囲気だった。でもやっぱり言いたくない気持ちのほうが強い。休憩が終わるまで黙ったままでいようかと思うけど、そんなの思考をまた読んだのか、幸村の

「俺のクラス、次の授業は自習なんだ」
「え?」
「だから、時間はたっぷりあるよ」

という言葉に折れた。
は覚悟をし、蚊の鳴くような声でポツリポツリと話し始める。でもやっぱり幸村の目を決してみないように目線は逸らしたままで。

「いや、は、恥ずかしくって、さ…」
「恥ずかしい?」
「い、いままで、名前でなんか、呼んだことないから…名前で呼んでって言われても…」
「…」
「…」
「ねぇ、
「…何」
にもそういう可愛いところ、あったんだね」
「うっ、うるさいなぁ!」

誰にも言いたくなかった理由。人に言ったら絶対笑われると思っていたから、言わないでおこうと密かに誓っていたのに、笑わないどころか、真顔でそんなこと言われたから、逸らしていた顔を俯かせる。そんなに思わず笑みを浮かべる幸村。でも、まだ終わらない。幸村は全然自分の目を見ようとしない恋人に呆れるどころか、むしろ嬉しそうに続きをせかす。

「で、理由がわかったところで、俺は早くに名前で呼んでほしいんだけど?」
「えっと…い、今すぐ?」
「今すぐ」
「…」
「ほら、精市って、呼んでみてよ」

はわかっている。呼ばないなんて選択肢は無いことを。でも、やっぱり言うのはどうしても恥ずかしくて、別に大勢の人から見られているわけでもないのに妙にしどろもどろになってしまう。精市、と自分の彼氏を呼ぶだけなのに。でも、そんな自分の名前を呼ぶのに一生懸命なに、幸村は愛しさが込み上げてくる。ようやく「せ、精市…」と言えた時には、俯いているの髪の間から見える耳はすっかり赤みを帯びていた。ありがとう、と言っての頭を撫でてみると、その赤は濃さを増す。もうこれ以上赤くはなれないんじゃないかと思うくらいのそれに、幸村は思わず笑みを洩らしてしまう。

「真っ赤になっちゃって。可愛い」
「っ!」
「じゃあ、今日からはずっとそうやって呼んでね?」
「え、待って、今ので終わりじゃないの!?」

ばっ、と顔をあげたの顔は幸村の予想通りに頬が赤くなっていた。幸村が、「もちろん、部活の時もね」と言ってもう一度撫でてみると、はへろへろと机に突っ伏して「それじゃ部活出れないよ…」と呟く。あまりの可愛さにキスをしてやろうか考えたけど、これ以上赤くなって破裂でもされたら困りそうだから、それはちゃんとしたプレゼントを受け取る時に取っておくことにした。

(HAPPY BITHDAY SEICHI YUKIMURA!!)